心の花が咲くブログ

悲しみを幸せに変え ダメな自分の眠っている才能を見つける

責任について 〜その2 ”選択”〜

前回の責任の話の続きです。

前回、責任と自由はセットだという話をしました。何かの事柄を自由な立場で選択した結果、責任が発生するのです。

そして、自由と責任の間には「選択」する、できるということが、存在します。

 

この「選択」という話を話していきたいと思います。

 

 

「選択」とは辞書によると、

多くのものの中から、よいもの、目的にかなうものなどを選ぶこと。

とありますわ

 

ここでのポイントは「自由にあなたが選択しましたか?」ということです。

 

私達は小さい時から色々なことを選択しているのですが、自らが自由に選択したのかな?という視点で振り返ってみると、

 

私の場合は

中学受験は親も私も受けたい学校を受験しました。高校卒業後は、宝塚歌劇団に入りたいと思っていましたが、親の反対を受けて大学受験をしました。

就職活動は当時人気だった保険会社を受けましたが、落ちました。その後、受けるところが広告代理店しかなく仕事内容もわからず受けて合格しました。

 

結婚は親の意見は聞かないで、何がなんでも自分が決めた好きな人と結婚したくて、大反対を押し切って結婚しましたが、離婚することになりました。

 

それらのことを自ら選択して来たのだろうか?と自分に問いかけてみました。自分がイメージしていた人生とは違うと思えるところもたくさんあるのですが、責任、自由、選択という概念を、何度も振り返ってみると、

 

親の希望であろうとあの中学校に行きたいと思って必死に勉強して合格したのは「選択」したとすぐに思えました。大学進学は私の希望は叶うことなく親の言う通りにしたので、選択したという実感は全くありません。親が決めたから〜と無責任な感じです。会社への就職は、ここしか受けるところがなかったので、藁をも掴む思いで受けることを選んで、また必死になり入社できました。結婚は自分で選択しましたが、離婚に関しては最終的に自分で選択したとは思うのですが、そもそも離婚をしなくてはならないような人生を選択したつもりはないので、なかなか選択したという感じにはなれませんでした。

 

自分が全部きめたなんてなかなか、すんなりとは思えないですよね。親に言われたから、上司に言われたから、旦那が難癖ばかり言ってくるからと、選択の余地なんてなかったと思うのが普通かもしれません。

 

 

ここで質問です。

あなたの人生において、"自由に選択をした"と"運命や他の人が選択した"との割合はどのくらいでしょうか?

 

ビジョン心理学では、すべてのことを自分で選択してきたと定義しています。

 

 

つまり、私の先程の人生の節目の出来事は全部私が選択したのです。

えーー😱って思う方がほとんどだと思います。

私も初めはそう思いました。

 

"運命や他の人が選択した"というときのことをもう一つ掘り下げてみると、そうすることを最初の段階は望んでいなかったことだったかもしれないけれど、あれこれあって最終的にはそうすることを自分が選択したと言えます。

 

この選択という概念は、シンプルなことを言っているのですが、自分自身が「全て自由に選択した」と当てはめるにはとても難しいのです。なぜなら、選択をしたという感覚がないと責任ということもなかなか理解できないのです。

 

しかし、嫌だった出来事を自分が選択したとは思えないけど、これから自分が未来を選択できていくと思えれば、成功、幸せがグッと近くなるのです。

 

 

 

 

「自由に選択したかどうか?」ということをより心理学的に言い換えると「自分に正直に選択しているか?」ということです。

 

「自分に正直」という視点から、次回はお話ししたいと思います。お楽しみに!